サイズは多少の誤差があります。

 

近藤勇の愛刀・虎徹

新撰組隊長近藤勇が愛用した刀で「今宵の虎徹は血に飢えている」のセリフで有名。

近藤勇の虎徹は山浦清麿の銘を長曾祢虎徹興里と偽銘を切った刀とか2代目虎徹だとか・・・諸説は多々あります。

しかし近藤勇が明治元年に斬罪に処せられたあと近藤勇愛刀「虎徹」は消息不明であり、また真偽のほどを実証する資料がない為不明。なお、近藤勇は龍の鍔を好んだと云う一説があります。

材質:硬質合金・二重刃紋 鞘:茶石目半千段鞘に黒蝋塗り 柄:黒本鮫皮敷の茶純綿捻巻き

全長 重量 元幅 元重ね 刃先

106cm

1,100g 3.2cm 6mm 薄刃仕上げ
刃長 鞘を払った重さ 柄部長さ 鞘長さ 目貫
74.5cm  850g 25.5cm 79cm 竹虎

近藤勇昌宜
新選組局長、徳川幕府若年寄格、甲陽鎮撫隊隊長

天保5年武州多摩郡調布市上石原村の宮川家で生まれる。幼名は宮川勝五郎。末っ子で父から「三国志」など読み聞き忠孝の思想的観念を芽生えさせていった。嘉永元年兄とともに近藤周助の門に入門。8ヶ月後に天然理心流の目録を受ける。うけた数日後、盗賊が宮川家に押し入ったさい兄に「賊は、入ったばかりの時は気が立っているものです。立ち去るときの方が気が緩むから、その隙に乗じましょう」盗みを働いて出る時に率先して斬りつけ、賊の気を奪い遁走させた。この話しを聞いた周助は、勝五郎に機知に富んだ勘の鋭さ、度胸の良さに感心し、彼を天然理心流四代目を継がせる決心をしたといわれる。嘉永二年当時、試衛館は江戸の牛込甲良屋敷にあり、勝五郎改め師匠の旧姓を名乗り島崎勝太は神田昌平橋近くに住む溝口誠斎にて漢学も修めた。
天然理心流四代目襲名披露は文久元年府中六社宮「大国魂神社」の束の広場にて野試合をおこなう。本陣に島崎改め近藤勇昌宜が総大将、紅白二つに軍を分けて、後に「新選組」隊士として活躍する沖田総司、井上源三郎、土方歳三、山南敬助等も参加している。
1863年京都守護職配下で新選組を組織し、池田屋事件などで倒幕派の志士を襲った。これにより維新が1年遅れたとも言われる。
慶応4年4月25日戊辰戦争では甲州勝沼の戦いで敗れ、板橋で処刑。首は京都で盗まれる。墓は三鷹市大沢6丁目の竜源寺にあり左側に近藤勇の辞世の碑がある。

<時代劇マガジンVOL.6>より