土方歳三の愛刀、11代会津兼定2尺8寸刀

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土方歳三の愛刀
新選組副長・土方歳三の愛刀。京都新選組時代に愛用した刀は11代会津兼定の作であり2尺8寸の長さと云われています。この愛刀の鉄地木瓜形の板鍔には梅の花が一輪彫られており、鞘は茶の石目塗りに牡丹唐草と鳳凰の文様を抜き出し、縁頭・栗形・小尻は、鉄地無文と、いかにも武用専一という感じの拵えですが、目貫だけは少し洒落ていて、美濃風の枝山椒図が使われています。歳三の生家である土方歳三資料館に保存されている和泉守兼定は、12代兼定の作であり二尺三寸一分六厘で、11代作のものより短くなっています。

材質:硬質合金・二重刃文  柄巻き:正絹黒捻り巻き 金具:5点金具

全長 刃長 重量 鞘を払って
約 122cm 約 85cm 約 1,680g 約 1,350g
柄部長さ 鞘長さ 元幅
約 30cm 約 92cm 3.3cm 茶の石目塗り

太刀掛け台は別途販売です

土方歳三義豊
新選組副長
歳三は天保6年(1835)、現在の東京都日野市にあたる武蔵国多摩郡石田村の豪農の末っ子として生まれる。母の体内にいるときに父を亡くし、5歳の時に母を亡くしたため歳の離れた兄夫婦に育てられた。
10歳の時と16歳の時に上野に奉公に出されたが、逃げ帰る結果となる。歳三は大変美男だったが、見かけとは裏腹に男気あふれる性格のため商人向きではなかったようだ。次第に歳三は武士を夢見るようになり、嘉永4年(1851)天然理心流道場で近藤勇と知り合うこととなる。道場で剣の腕を磨き、文久3年(1863)に清河八郎の浪士募集に応じ上洛した。そして同年8月、新撰組の隊名を拝命し、副長となる。
新選組副長となった歳三は過酷なまでに隊律を重んじ、それは新選組内部でも恐れられるほどだった。近藤を桧舞台にあげ、幕府に忠義を尽くし、心を鬼にして仕事にも隊士にも厳しくあたった。
戊辰戦争が始まり歳三は幕府軍の幹部として北へ転戦。明治2年(1869)幕府軍の最後の砦である函館・五稜郭も降伏の気配が濃くなったとき、一人敵地に飛び込み銃弾を受け戦死した。「ここで降伏しては、地下の近藤に合わせる顔がない」と言っていたという。近藤勇の死から約1年後の事である。

<時代劇マガジンVOL.7>より